明成建設工業株式会社

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私たちの歴史

「建築業 西村」 開業

大正15年4月。
当社の創業者「西村 亀吉」は、長野・伊那谷赤穂村(現駒ケ根市)の
農家の四男として生まれ大工として身を建てました。
その後、蕎麦殻の入った枕一つを持って東京へ出てきました。
そして東京・中野で「建築業 西村」を開業しました。
当時の中野はまだまだ家も少なく、のどかな田園風景が広がる場所だったそうです。
自分の腕だけが頼りの大工として腕を磨き、
その確かな仕事ぶりが評判となり徐々に仕事も多くいただくようになりました。
創業者・西村 亀吉が体現した「丁寧な仕事でいいものをつくる」という信念は
当社の原点であり、一生懸命に技術を磨き、
お客様に喜んでいただける仕事をするという姿勢は今でも最も大切にしていることです。

戦後、発展していく日本と共に

戦後、昭和23年に中野駅前12番地に「明成建設工業株式会社」を設立。
日本の復興は生活の基盤である「住宅」からだという強い信念のもと、住宅の建設に邁進してきました。
また、社会のインフラの整備充実が戦後の大きな課題と考え、
官公庁工事の受注に向けて、着々と準備を始めたのです。
当時はまだ区画整理事業も未完成で周辺は畑ばかりでしたが、
発展していく日本の明るい未来を信じ、一丸となって力を合わせました。

苦労あり喜びありのアメリカ駐在員向け工事

昭和31年、当社はアメリカ駐在員向けの
北海道千歳飛行場内宿舎八棟の新築工事を担当していました。
当時は物流機構が整備されておらず、資材の調達や発送、手続きも煩雑を極めていました。
日本人だけでなくアメリカ人もいる打合せや種々の調整、
各協力業者への速やかで確実な支払いなど、想像を絶する多忙な日々でしたが、
このときの経験が当社の飛躍のステップとなりました。

地域に愛されることを目指して

当社の歴史に残る建造物といえば、新井山梅照院薬王寺の名が挙がります。
新井山梅照院薬王寺は新義真言宗の有名なお寺です。
昭和32年、当時の都議会議員・窪寺 傅吉氏の推挙により、薬王寺の回廊工事を拝命しました。
また、その翌年には実績が認められ、鐘楼の新築工事をさせていただきました。
あれから50年以上を経た現在でも立派な佇まいを見せており、
今なお子どもから大人まで愛され続ける建造物です。
梅照院の鐘楼や回廊のように、地域に密着し、
地域の皆さまに愛される会社であり続けることこそが当社の誇りです。